デヴィッド・ピース氏というと、ノワール小説作家としては独特の文体が特徴的ですが、もう一つ知られているのがその日本文学への入れ込みようです。
芥川龍之介をマイフェイバリットに挙げるってのも、国内作家ならともかく、海外作家としてはなかなか珍しいのではないでしょうか。
そんな彼の作品の中でも、芥川の影響が最もはっきり出たのが「占領都市」です。
こちらは日本の戦後すぐの有名事件を描く「Tokyo Year Zero」シリーズの2作目で、帝銀事件を扱ったもの。
帝銀事件は、GHQの占領下で発生した事件な上、凶器となった毒物の正体さえ明確な鑑定が出せていない、逮捕された平沢氏(1987年獄死)に対しての面通しでも被害者の誰もが彼が犯人だと断言できていないなど、今だ数々の謎が残る事件です。
そうした謎のせいもあってか、数々の作家が題材として手掛けてきた事件ですが、今となってはもはや完全な真相が明らかになることは困難でしょう。
デヴィッド・ピース氏もその点は十分に分かっていたようで、本作は氏自身が語るように、フィクションとして造形する上で芥川の「藪の中」の構成を借りて仕上げています。
「藪の中」は今昔物語集を下敷きにして当時の殺人事件を扱った作品ですが、複数の関係者による証言(被害者本人の幽霊も含む)だけを並列的に並べた上、それぞれの証言に矛盾が生じるつくりになっています。
それゆえ真相にたどり着くこと、それ自体が困難(今に至るまで結論が出ておらず、研究論文の数でも屈指)なのが特徴なのですが、この「藪の中」の特徴を「占領都市」ではそのまま帝銀事件に持ち込んでいます。
つまり、矛盾点のある関係者の証言をどれが正しいというわけでもなく並列的に提示し、その正誤の判断は読者にゆだねるという方式です。
一応「真犯人」と銘打った人物を登場はさせているものの、本当にそれが正しいのかは、全体を通すと極めて怪しいつくりなのです。
むしろ、本作が重視しているのは、終戦直後、占領下の日本の暗い空気感と、得体のしれない不気味さです。
帝銀事件は、現実の調査でも陰謀論が強くささやかれた経緯があり、本作でもそれを取り込んでいるのですが、その結果として事件自体はおろか社会そのものが得体のしれない、何が起こっているのかさえわからないものとして描かれています。
生活を営む土台、それ自体が崩れていくような、まるで足元から力が抜けていくような頼りなさと、それゆえの諦念・無力感が全編を覆っており、読んでいるだけでまがまがしい。
そんな、突き落とされる感覚に彩られた時代、それ自体こそが、本作を貫く一大テーマと言えるのではないでしょうか。
その点では犯罪小説としてはともかく、本来の意味での「ノワール」としては絶品です。
ただ、それだけに、表現手法が少々突飛すぎるのは事実。
藪の中方式はともかくとして、関係者の錯乱と混乱をそのまま再現したかのような筆致になっているため、文章が極めて読みづらいですし、内容も理解しがたい。
ピース氏特有の短文を連ねる文章も、もはや小説というよりも散文詩と言った方がしっくりくるレベルに達しており、ここまでくると前衛小説です。
特に後半のある章に至っては、ウィリアム・バロウズのカットアップ(文章をランダムに切り刻み、並び替える)方式を思わせるものになっており、普通の読み方ではわけがわかりません。
また、それとは別にあまりに趣向を凝らし過ぎたのではないか?と思われる部分もあるのは事実です。
とはいえ、この欠点も含めて、本作の特徴なのは事実。
まるで地獄の底から聞こえてくる呪詛か雄叫びかという仕上がりは、他ではまず味わえないドス黒さです。
読破には気合を要しますが、ノワール好きは精神を落ち着けた上でどうぞ。
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