会社の仕事の中で、多くの人が意味を見出せないもののひとつが、会議でのプレゼンだろう。
日本の場合、根回しの方がむしろ重要だったりする場合が多いというのもその理由のひとつだけれど、プレゼン単体だけを見ても、それはおおむね退屈だ。
ただ無味乾燥なアピールとスライドばかりが延々と続くそれは、なかば我慢大会のようだ。
もちろん、キツイのは聞き手だけではない。話し手だって、退屈されていることを感じながら話し続けるのは苦行に等しい。

そんな、誰にとっても益のないプレゼンのイメージを一変させるのが、『プレゼンテーションZEN』(ガー・レイノルズ/ピアソン桐原刊)だ。
タイトルだけを見ると奇をてらった組み合わせだが、「禅」とは言ってもその価値観をプレゼンの作成に活かせないか、という視点から編まれたその内容は、結果的にプレゼンがなぜ退屈なのかへの痛烈な指摘になっている。

いかにコンセプトとして禅を活かしているかは実際に読んでいただくとして、本書で痛感させられるのは、そもそもプレゼンの目的の認識が根本的に間違っているということだ。
プレゼンは、言うまでもなく「自分の考えを相手に伝える」ものなわけだけれど、そのためにはただ自分の自己満足の喋りと画像を垂れ流せばいいわけではない。
相手にいかに理解してもらうか、そのための効果的な演出はどんなものか、話の流れはどうするか…そうしたことを、徹底的に考え抜く必要がある。
プレゼンはあくまでも相手あってのコミュニケーションなのだ。

ところが、多くのプレゼンはこうはなっていない。話の流れはぶつ切りで、スライドは単なるレジュメ。
ただの「発表」に過ぎないのだ。

本書は、こうしたカン違いを、ユーモアも交えつつひとつずつ打ち壊した上で、それとは一線を画するスライドの使い方や、話のアイデアの練り方を紹介していく。
著者自身が述べているように、ある意味で一般企業の常識的なものとは外れているため、いつでもどこでも使えるとは言い難い。
お堅い企業が多い日本ではなおさらで、実際には相手と場の雰囲気を考えながら部分的に考え方を取り入れていく程度だろう。

ただ、「相手に考えを伝える」ということの本質的な大原則に踏み込んだその考え方は、意識しているだけでもだいぶプレゼンの捉え方が違ってくるはずだ。
むしろ、その内容は極めて根本的であり、プレゼンのみならず、相手のあるあらゆる場面で応用可能だろう。

もう一つ本書で印象的なのは、あくまでもプレゼンを「クリエイティブ」なものとしてとらえていること。
著者の語るプレゼンの姿は、むしろビジネスというよりもスライドを用いたトークライブに近い。

日々の仕事の一つに過ぎないと割り切っている人ほど、この考え方は意外なはずだ。わたしにとっても、目から鱗だった。
けれど、考えてみればしっかりとプレゼンを作りこもうと考えた時、その工程はひとつの作品を作るのとそれほど変わりない。
目的がビジネスかアートかという違いがあるだけで、表現であることには違いがないのだ。

その点で、本書はイメージとは違って、楽さを追求する内容ではない。
むしろ、盛り込まれた内容をすべて考え、検討しながら作っていくのは、相当に骨が折れるし、手間もかかる。
けれど、本来プレゼンというのはそうあるべきものなのだろう。

相手に時間をわざわざ割かせて、しかもこっちのアピールを聞いてほしいと頼んでいるのだ。
礼儀から言っても、その程度の手間を惜しむべきではない。
…けれど、それをおざなりにするから、ますますプレゼンというものがおかしくなってしまったのではないか。
そんなことを、本書は考えさせてくれる。

 

なお、念のため書いておくが、本書は決してノウハウ書ではない。著者自身も名言しているように、明確な方法論を手取り足取り教えてくれるわけではないのだ。
事例こそ豊富に載っているけれど、どちらかというと「プレゼンテーション道」とでもいうべき、著者の価値観を語る内容と思った方がいい。

だから、正直なところ敷居はむしろ高い。
考え方を意識しながら、少しずつ、少しずつ上達していく類の内容だ。

明日から使えるような即効性を求めるなら、本書は適切なチョイスとは言えないだろう。
逆に、現在の自らのプレゼンテーションに不満を覚え、長い目で活かせる糸口を探しているような場合には、本書は有益なアドバイスで満ち溢れているはずだ。

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