恋愛というのは半狂乱になることと極めて似ている。
自分では冷静なつもりでも、判断力は極端に低下しているし、ただただ焦燥感だけが募る。
ハッキリ言って、楽しいものじゃない。むしろ辛い。
うまくいくかどうか、また、それを行動にどのように表すかは別にして、わけがわからなくなる点だけは誰にでも共通のものだろう。
だからこそ、その結果がどうであれ、その記憶は何年たっても、まるで昨日のことのように残る。

恋愛物の話というのは、小説にせよ漫画にせよ、こうしたヒトの特性に、ある意味ではただ乗りした部分が大きい。
ジェットコースターのように揺れ動く心情さえしっかり表現できていれば、話そのものが少々地味だったり、表現に難があったりしても、読者は勝手に感情移入してくれるからだ。
もちろん物語としてよくできているに越したことはないけれど、感動という面では読者が自分を重ね合わせる要素が一つあれば十分に成立する。
ある意味、恋愛物というのは、それがコメディだろうと悲劇だろうと、読者にとっては「恋愛の追体験ツール」なのだ。身も蓋もない言い方をすれば。

ツルゲーネフの『はつ恋』は、その追体験という面に関して言えば、屈指の出来を誇る古典だ。
テーマはタイトルの通り、ズバリ初恋の思い出。
手慰みに友人から過去の恋愛話を振られた男が昔を振り返って語る、19世紀ロシアを舞台とした恋物語だ。
隣家に越してきた公爵令嬢ジナイーダにすっかり骨抜きになった少年の片思いと、その終幕までが語られる。

恋愛、それも初恋の半狂乱っぷりというのは、恋愛する頻度の多寡にかかわらず、とりわけすさまじい。
誰が思い返しても恥ずかしく、でも甘酸っぱいもの。
本作にはその「わけがわからなくなる感じ」が、100ページ強の短さの中にこれでもかと詰め込まれている。

このジナイーダさん、主人公からみると少し年上の、要するに大人なお姉さんなのだけれど、それ以上に小悪魔っぷりが凄い。
作中でも語られるようにすさまじく気まぐれな上、典型的な男を手玉に取るタイプ。
それも、こそこそ隠すような真似は一切しない。
なにしろ、主人公はいきなり他の5人の男が彼女に従者のようにつき従っているところにほうりこまれてしまうのだから。
まさか当時のロシアでこんな関係が普通だったわけでもないだろうし(実際、作中でも決して普通のコトとしては描かれていない)、さらに言えばジナイーダの言動は一歩間違えれば女王様のそれだ。
乱痴気騒ぎもここまでくるとすがすがしい。

わけもわからないままにその狂奔のような世界に飲み込まれた主人公は、そのまますっかりその仲間入りをしてしまう。
ただ、当のジナイーダは、主人公はもちろん5人全員に対して、あからさまに本気じゃない。

そんなジナイーダが、ある時を境にじわじわと変わっていく。もちろん、その理由は明確ではない。
でも、男たちは誰しもが理解した。彼女は(彼らにとっては不幸なことに)本命を見つけてしまったのだ。
それはいったい誰か。

この物語、結末はハッキリ言って読みやすい。ここでは伏せるけれど、ぶっちゃけ文庫などだと本の概要の段階で明かされていたりする。
それを読まなかったとしても、伏線的な描写もわかりやすく張られるし、早い段階で大体の予想はついてしまうだろう。
ただ、『はつ恋』に関しては、結末を最初から知っていたとしても、何の問題にもならない。
本作のハイライトは、そんな状況の中で乱れまくる主人公の心理描写だからだ。
切羽詰まり、疑心暗鬼に駆られて狂奔するる彼の心の乱れっぷりのリアルさだからだ。

そこに、ジナイーダの悪意があるのかないのかさえ判然としない思わせぶりな行動が、さらに読者にも混乱と甘酸っぱさを掻き立てる。
ハッキリ言って、小悪魔もここまでくれば立派なものだと感心することしきり。
もちろん、この辺は正直、小説だからこその展開ではあるのだけれど、そこに不自然さを感じることなく巻き込んでいく吸引力はさすがだ。

ちなみに、結末についても軽く触れておくけれど、本作の恋の終わり方は、主人公が感じるであろう後味の悪さでいうと最悪の部類に入る。
別にジナイーダがどうこうではなく、もっとそれ以前の話で、実際にこんなことになったら、トラウマ必至だ。
人によっては、ジナイーダが惚れていた相手に素で嫌悪感が湧くだろう(あらゆる意味で、ここまで非の打ちどころなく最低な立ち位置のキャラクターも珍しい)。

ただ、それにもかかわらず、読後感は非常にロマンチックだ。
失恋とはいえ、恋愛物としての締め方が非常にキレイなのだ。
あらかじめ言っておくけれど、展開はハッキリ言ってベタ。芝居がかったセリフも相まって、臭いほどだ。
ただ、本作では不思議と、その臭みがあまり気にならない。
そこまでのあんまりな流れからのせめてもの救いといった風情の切なさはもちろん、ある意味現実にはあり得ない「理想の失恋」なのだ。

そして、さんざん小悪魔小悪魔と言ってきたが、ジナイーダは最後まで、決して悪女としては描かれない。
まるで「恋は盲目」を地で行くように。

文体については、少々時代がかったところはあるけれど、基本的には非常に素直でストレート。
古典の翻訳ものとしては、非常に読みやすい部類だろう。
最初から最後まで、いいように手玉に取られただけに過ぎない主人公だけれど、読んでいるうちにそのカオスっぷりがかつての自分に自然に重なってくるはず。
あくまでも美しいモノとして純化され、昇華された初恋の醍醐味を、そのままパッケージングして差し出されたかのような一品だ。

スポンサードリンク