最近にわかに取り上げられるようになったのが、鉄道の存廃問題だ。
JR北海道の危機的状況があまりにもひどすぎたこともあってか、ここ数年では鉄道マニア向けだけではなく、一般記事でも頻繁に紹介されている。
そうした時流を敏感に反映したムック本が、『絶滅危惧鉄道2018』(イカロス出版)だ。

本書は、平成の終わりにおける、日本のローカル線の危機的状況を一気にまとめたムック本。
基本的に鉄道報道などで興味を持った層を対象とした感があり、各路線の歴史から現状まできわめて理解しやすい形で集約されている。
今回は2017年度版に続く続編で、今回は発行時期が三江線の廃止直前だったこともあり、中国地方のローカル線が大きく取り上げられている。

本の出来について先に述べておくと、全体としてはよくできているが、細かい部分で少々雑な印象は否めない。
例えば、目玉の「廃線危機路線のランキング」。これだけを聞くと、当然危険な路線ほど上位に来ると思うだろう。
ところが、このランキングでは、平均通過人員数だけで順位付けしているために、実際にはまだ救われる要素の残る路線が上位に来ていたりする。
慣れた読者ならともかく、初心者ほど「はぁ?」となってしまう可能性は高いだろう。
ムック本という性質上話題性から企画された面はあるだろうし、どうしても興味本位的な部分は感じられてしまう。

ただ、そういうアラはあるものの、逆に割り切った姿勢でまとめられている分、資料・情報としての価値は高いだろう。
未成線の活用などまで幅広くカバーされている点も含め、入門という意味では最適な一冊となっている。

割り切った姿勢とは書いたけれど、本書は本文の読み応えに関しては相当にしっかりしていて、単なるデータの羅列では終わっていない。
基本的にニュートラルな立ち位置を保っているものの、文章の端々から鉄道への思い入れは伝わってくるのだ。
その点では、よくある粗製乱造のムック本とは根本的に異なる。
ただ、それにもかかわらず、全体として相当シビアな書きぶりになってしまっていることが、ローカル線の苦境をそのまま表している。

特に、読んでいると目立つのが、各路線ごとの内容や言い回し、文章の結論などが妙に似通っていること。
これは、別に本書自体がどうこうという話ではない。
単純に「どこのローカル線でも根本的な問題は似たようなもの」なのだ。
他の交通機関の整備やクルマ社会、そもそもの人口の減少、流動の少なさなど、「危機的状況」の理由はたとえ地域が違っても、そんなにバリエーションは多くない。
そして、そのすべてに共通するのは、今さらその原因自体を抜本的に改善することは不可能、という厳然たる事実だ。

そして、その結果としてもたらされるのは、「そもそも本来の鉄道の役割を果たすことが不可能になっている」という当然の結論。
四の五の言う前に、まず乗車する人間の母数が少なすぎるわけで、これでは鉄道の意義である大量輸送など、夢のまた夢だ。

その結果としてはじき出される輸送人員は、戦慄の一言。
どんな鉄道ファンでも擁護のしようがない数字たちは、単なる鉄道の問題を超えた「地域の衰退」それ自体を否応なく突きつけてくる。
情緒的な問題で済むレベルはとうに超えているのだ。

ただ、意外なのが、「沿線住民が年に1回でも乗れば赤字を出さずに済む」路線がそれなりの数あるという指摘。
これは目から鱗だったが、考えてみればローカル線の赤字は巨額ではあるものの、その代わり大きな路線ほどには経費が高くない。
それだけに、そこそこの利用があれば、補てんとして事足りることは確かにありうる。
極端な仮定だけれど、沿線住民が年一回、固定の出費だと思って乗ればそれで終わる話なのだ。

にも拘らず、その見通しがまったくつかないことが何を意味するのか。
浮かんでくるのは「他人事」という問答無用の事実だ。

本書でもいくつか地元民へのインタビューが上げられているが、意外なほどに意見がバラバラなのがわかる。
鉄道から利益を得る人、得ない人で意見が異なるのは仕方がないのだが、その差異は第三者から見るとちぐはぐさを感じるほどだ。
そして、鉄道へのかかわりが薄い立場の方の意見は、見事なまでに鉄道に冷淡。
もちろん、維持に真剣な人もいるだろうけれど、そうでない割合の方が圧倒的に多いなら、まるで意味はない。
要するに、住民の方々でさえ、一枚岩とは言い難いのだ。

これはわたし自身の地元のことを考えてもわかる話だ。
たとえばマイカーを持っている人は、基本鉄道のことなど意識しない。使うことがないから、最初から頭にないのだ。
そんなマイカー持ちが大半を占めるなら、結果は言わずもがな、である。

言うまでもなく、そうなってしまう理由は、ローカル線の使いづらさとも不可分だ。
使う人が少ない→本数が少なくなり、設備も削減される→ますます使いづらくなる…という悪循環。
さらにいうなら、都会のように網の目のように鉄道網が張り巡らされていない以上、そもそも駅の近くに住んでいないなら鉄道の意味自体がない。
そういう意味では、無関心になるのにも相応の理由はあるし、その立場の方々にとってはそもそも鉄道自体の意味が既に喪失してしまっているともいえる。

ただ、それをやっている限り、そして「経済活動」として鉄道を見る限り、事実として、そこには廃止という出口しか存在しない。
「残ればいいなあ」という願望だけでは、どうしようもない状態にまで来ているのだ。

この状況で、それでも鉄道を残そうとするなら、地元での利害のすり合わせは最低限必要だろう。
けれど、少なくとも本誌を見る限り、それが上手くいっているようには思えない。

今後、こういったどん詰まり状態のローカル線を敢えて残す方法はあるのか。そもそも、そこまでする意義とは何か…
本書ではいくつか提案もなされているけれど、この問題にはそもそも絶対の正解などないのだろう。

なんだかんだ言っても、鉄道は、公器的な側面が極めて強い。他国ではそもそも民営化など行っていない国も少なくない。
地域振興なども含めた、複雑な利害や戦略が絡み合って成立しているものだ。ただの輸送機関とだけ見てしまうと、本質を見誤る。
少なくとも、ぱっと見の印象だけで外野が軽々しく評論できるようなものでは、本来はない。

問題はそれらすべての要素を勘案した上で、残すだけの価値があるかだ。
廃止後もうまく回る地域があるのは事実だけれど、だからと言って他でもそううまくいくとは限らない。もちろん、その逆もしかりだ。

ただ、最終的な結論がどうであれ、そして、そもそも鉄道云々以前に、利害関係者が自分を当事者だと自覚し、本気で「この先」を考えていくことが、まず出発点ではないか。
それがなければ、そもそも地域づくりさえおぼつかない。
けれど、その出発点にさえ達していない例が、あまりにも多すぎないか…

その寒々しい周辺状況が、一番唖然とさせられる。
本書自体はあくまでも鉄道をテーマにしたものだが、今後各地で顕在化してくるだろう地域運営の問題点も示唆する一冊だ。

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