高校時代、私は古文という科目が苦手だった。
それ以上に、面白みが感じられなかった。
言葉の違いはとりあえず置いておくとして、それ以前に内容に魅力を感じなかったのだ。

今考えてみれば、学校で習う古文は、その知識を身につけるために都合がいい箇所だけを、しかも教科書的な基準でもって抜き出したものだ。これでは元作品が持っていたエッセンスなんて、飛んでしまう。
現代文だって戸惑うことがあるくらいなのだから、まして古文でそれをやられて面白いわけもない。元の作品たちには、いい迷惑である。

とはいえ、やはり最初の敷居が高いのは事実で、教科書という縛りがない一般書籍では、その壁を越えるために様々なスタイルの翻訳がなされている。
マジメに、格調高い現代語にすることを目指した正統派から、極端に今風にアレンジした(清少納言をギャル語に置き換えるなんてのは代表格だろう)ネタ的なものまで、枚挙にいとまがない。

ここで紹介する『SONGS OF LIFE』(ドス・マスラオス/光村推古書院)も、そんなの試みの産物の一つだ。
題材となっているのは、日本最古の歌集と言われる『万葉集』。
編纂者はおろか正確な成立年代さえも今だ不詳のままの謎の多い作品だけれど、階級社会であった当時において、身分を問わずに様々な歌が収められており、バリエーションの豊富さにおいては類を見ないのが特徴だ。

『SONGS OF LIFE』は、そんな『万葉集』の中から、日々の暮らしや人生観を反映した作品を抜き出して集めたものだが、特徴的なのが、その翻訳手法だ。
著者ふたりは、本人たちが認めるように、専門家ではなく、ずぶの素人にすぎない。
そのせいもあって、その翻訳は学術的な厳密性などの面ではかなり怪しいのだけれど、本書はそこを敢えて割り切り、代わりに文学作品として親しみを持てるものに仕上げることに徹している。
そして、そのために手法として用いられたのが、文字通りの「歌」だ。
本作は翻訳にあたって、「歌の歌詞」を意識した大胆な意訳を施しているのだ。
さらにアート系の写真を加え、ヴィジュアル的な面からも雰囲気を二重に演出するという手法をとっている。
紙面の印象としては、(ページ数はもちろんまったく違うが)それこそCD付属の、アーティスト写真を使いまくった歌詞カードのようだ。

古典の翻訳において、音楽的な面からアプローチしたというのはかなり珍しい例だろう。
ただ、この本の初版発行当時は、カラオケ文化の全盛期だった。当時、飲み会の後の二次会と言えば、カラオケ派が一番多いような時代だったのだ。
言い方を変えれば、ポップスやロックの歌詞がある程度広い世代の共通言語になりえた時代なのだ。
本書のコンセプトは、おそらくこうした時代背景ありきのものだったのだろう。
そして、本書に関して言えば、この手法はピタリとハマっている。
思った以上に現代的な歌の内容に加えて、歌詞というコンセプトがフィルタとして絶妙に働き、現代のわれわれの頭にもスッと入ってくるのだ。

本書を通読して感じるのは、時代背景こそ違っても、人生を送っていく中で人々が感じる感情の動きにはそれほどの違いはないという、その一言に尽きる。
テーマを暮らしや人生に置いているだけに、本書に収められた歌たちは幅が広く、あまり統一性はない。
その反面、人生というもののままならなさは全編でにじみ出ている。明るいモノも暗いモノもあるけれど、いずれにしても、軽く済ませられるようなら苦労はしない、ズシリとくるヘビーさがある。
生活苦についての歌などは、ほとんど絶叫で、仮に本当にヘヴィロックに載せたら(もちろん表現の調整はいるだろうが)さぞかしブルータルな仕上がりになるだろう。

翻訳そのものの仕上がりは、私個人の感想としては正直上手いとは言い難い。
前述したように専門家でないことに加え、現代語単体としてみても、どうもぎこちない。
さらに言えば、歌によっては意識しすぎたのか、少々クサいというレベルを通り越している訳もしばしばみられる。

ただ、そうした素人くささは、逆に一種、インディーズでの洗練され切っていないストレートさに通じるものがあり、読んでいても決して悪くない。
むしろかえって共感度を高めている面もある。
歌の重さと素朴さが、いい意味で生活感を出していて、リアルなのだ。
上手いばかりが翻訳じゃないとはよく言われることだが、これはまさにその典型例だろう。

ちなみにもう一つ、本書の魅力を挙げると、歌人それぞれの個性に気づけるということ。
さすがに作者不詳のものなどはどうしようもないけれど、逆に作者がハッキリしている作品については、読んでいるうちにその作者の人となりがどことなく感じられてくるような温かみがある。

その中でも目立つのが大友家持。万葉集の編纂に関わった一人ではないかという説もある人物だが、本書では収録数が多いこともあって、彼のキャラクターがありありと浮かんでくる。
特に、酒についての1章は、ほぼ彼の独壇場。殆どが彼の作品で占められたこの章で、彼はまるで酒礼賛とでもいうべき人生観をこれでもかと見せつける。
悪く言えば立ち飲み屋にでもいそうなオヤジそのものなのだけれど、楽天的な姿勢は魅力的だし、だからこそ親しみの湧き具合は半端ない。
その一方で、他の章では悲しみや希望を絶妙なバランスと比喩で表現した作品も入っており、その多面的な人物像が、まるで目の前にいるかのように展開する。

その感覚は、ある意味でライブ的で、この手の文学作品ではなかなか稀有な体験だ。
万葉集の翻訳は数あれど、歌人をそれこそステージの上にたつアーティストのような感覚でもってとらえられる、非常に斬新な一冊と言えるだろう。
古文が嫌いだった人ほど、衝撃を味わえることと思う。

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