JR移行時には、第三セクターでの存続を選んだ路線も多いが、その多くは財政の危機に直面しているのが現状だ。三木鉄道三木線もそんな路線のひとつで、当時の沿線住民のアンケートでも廃止賛成が過半数を占めるという惨状の果てに廃止された。
そんな三木線だが、廃線跡としてみると、なかなか興味深い、そして、廃線整備をする上でのコンセプト的な課題を考えされられる状態にある。現地で踏破したときの経験とともにお伝えしたい。
※以下、当記事中のデータは、取材時点でのものです。
スポンサードリンク
誕生の時点で方向性がちぐはぐだった国鉄三木線
三木線という路線の在りし日の姿を振り返って感じるのは、その方向性がことごとく裏目に出ていることだ。
元々播州鉄道によって貨物需要を想定して開業されたという事情もあるが、路線図を見ただけでも人の流れとまったくかみ合っていなかっただろうことは、誰でも一目でわかるだろう。
何しろ、大都市である神戸市にわざわざ背を向ける方向に線路を伸ばしているのだから。6キロ強という路線の短さは度外視したとしても、そもそも最初から需要を伸ばすのは無理筋だったと言える。
その上、肝心の貨物輸送も戦後廃止され、この時点で既に状況は致命的だったと言える。それでも細々と営業されてきたものの、1981年には営業係数は1041と4桁に達し、早々に第三セクターの三木鉄道に移管。新駅を4駅新設、ほぼ倍の駅数で臨むことになる。
とはいえ、根本的な環境が変わらない以上、改善しようにも限界がある。そうこうするうちに、三木市では路線廃止を公約とする市長が当選。選挙の翌年には廃止が可決、さらに翌年に廃止というスピード展開で全廃に至った。要するに、事実上地域住民公認での廃止だったということだ。
いかに短距離路線とはいえ、ここまであっさり廃線に至ったところからして、地元にとっても既に財政赤字を生み出すだけの存在になり果てていたと考えるのが妥当だろう。
遊歩道区間と放置区間…現状でも方向性が真逆な三木線廃線跡
最近は、廃線跡という存在を沿線の資産として活用する動きが各地で見られるようになってきている。ただ、複数の市町村にまたがる路線だと、自治体ごとの考え方の違いでイマイチちぐはぐな形に収まってしまうことも少なくない。
その点では三木線ほど市町村ごとの考え方の違いがわかりやすい路線もそうない。
三木線は加古川市と三木市にまたがっていた路線だが、廃線後の状況をさくっとまとめると
「放置状態の加古川市内区間、整備しまくりの三木市内区間」
と言うだけで、ほぼ説明が済んでしまうのだ。
露骨なまでの自治体ごとの扱いの真逆さ
それでも敢えて解説すると、まず加古川市内は駅舎やレールなどは撤去されているため、市内にあった国包駅・宗佐駅ともに、駅としての痕跡は残っていない。ただ、路盤についてはそのままの状態で残っているため、要所要所でその様子はうかがえるし、近づけば間近に見ることも容易だ。
一方で、三木市側は廃線跡が丸々遊歩道「別所ゆめ街道」になっており、一度入ってしまえば終点までほぼ一直線なので非常にわかりやすい。舗装はされていない区間がほとんどなものの、整備は行き届いており、各駅跡に当たる地点に駅跡を示すプレートも設置されている。
特に石野駅・別所駅跡に関してはホームや線路の一部が残されている。もともとの駅舎は残っていないが、代わりに駅舎を模した新築の休憩所まで併設されている。
終点の三木駅は三木鉄道公園として整備されており、かつての駅舎が三木鉄道ふれあい館として活用され、三木鉄道時代の写真などを掲示している。また、広場では土曜の一部時間帯(10:00~13:00)のみだがサイクルトロッコが運転されているので、これを狙っていってみるのも一興だろう。
なお、同じ「三木駅」ではあるものの、三木鉄道記念公園と神戸電鉄粟生線三木駅までは最短ルートで900M弱。三木市の市街地としては粟生線三木駅の方が中心になっている。
総じて言って、廃線を偲ぶという意味では状況は決して悪くない。それどころか、むしろ恵まれている部類だろう。
ただ、複数の自治体にまたがるため仕方がないとはいえ、廃線活用の方向性の差があまりにも極端なため、現地を歩くとその落差にかなり違和感を感じてしまうのは事実だ。
整備の仕方で薄れてしまった「廃線跡の雰囲気」
それに、整備されている三木市内にしても、確かに精一杯資産を活用してはくれているのだけれど、逆に「道路」としての側面にかなり寄っており、意外と鉄道跡を歩いている感じが薄いのだ。広々とした区間の多い廃線跡の道は、道路として完成され過ぎていて、鉄道としての面影は薄い。
もちろん、他の廃線では完全に道路として跡形もなくなっているケースも多いけれど、それなら逆に割り切って、「ここが線路跡だったのかな?」と探索する楽しみがある。また、逆に徹底して鉄道を強調した整備がなされていれば、これまたエンターテインメントとして楽しめる。
三木線の整備区間には、そのどちらもない。どうにも中途半端な印象なのだ。放置状態の加古川市内区間と連続して見せられることになるため、余計にその印象が強まってしまう感は否めない。
もちろん、こんなのは趣味人の勝手な贅沢もいいところだ。第一、廃線活用という時点で、既に不要になった資産をどうにか有効活用できないかという話なのだから、そこまで手をかけたら本末転倒という部分はあるだろう。
ただ、それでも、大なり小なりの予算をかけて手を入れる以上は、もう少し何とかなったのではないかという気はする。土地をたっぷり使っているだけに、なおさらだ。
区間ごとの好みが分かれそう…三木線の廃線跡を歩く
区間によって整備状況が全く異なる三木線だが、実際に線路跡を追う上では、いずれも難易度は低い。そういう意味では初心者向けともいえる。もちろん、廃線跡を忠実に辿るという意味なら、三木市側の方がはるかに容易だ。雰囲気的にどちらがいいかは好みが分かれるだろうが。
野ざらし状態の加古川市内区間(厄神駅~国包駅跡~宗佐駅跡)
まず、厄神駅だが、出入り口が複数ある。このうち、代替バスを使うなら北側、徒歩の場合は南東側から出ることになる。今回は徒歩なので、南東側の出口から出た。少々わかりづらいが、出口を出るとすぐ目の前がだたっぴろいロータリーになっており、派出所が建っているのが目印だ。
国包駅跡までは細い道ばかりだが、ポイントポイントで廃線跡が残っているので、これを目印にあるけば方向を見失う心配はあまりない。これで、まず県道20号にぶつかるまで進む。
国包駅跡はちょうど線路跡が県道20号を横断する直前にあったが、前述の通り線路やホームの痕跡は残っていない。ただ、前後の路盤はそのままなので、かつて道路を列車が渡っていた頃のことを想像するのは難しくなかった。
次に宗佐駅跡までの区間だが、線路跡ルートに近い細道を使うか、わかりやすい県道20号を使うかでルートが変わってくる。筆者は県道を選んだ。県道からでも線路跡はそれほど離れてはいなそうだったし、なんなら要所要所で脇道に入って近づけばいいと考えたからだ。
ただ、これは歩き始めてから気が付いたが、県道20号は、このあたりでは路側帯さえない狭い道。しばらくいけば路側帯は出てきたものの、歩道まではない。その点から言えば、細道を通った方が安全だろう。
宗佐駅跡はホームはなくなっているが、路盤はしっかり残っている。
※一応、国包駅跡まではわかりづらいので地図を貼っておく(GoogleMap/上記の細道のルート)。
グネグネ道で遊歩道にたどり着くまで(宗佐駅跡~下石野駅跡)
宗佐駅と下石野駅の間が、ちょうど加古川市と三木市の境界にあたる。ちょうど丘になっていて、三木線も掘割になっている部分だ。
この区間については直通する道路がないので、ここは一度県道方面に戻るしかない。ただ、ここでありがたいのが、宗佐駅跡にほど近い県道20号沿いの交差点に、セブンイレブンが一軒建っていることだ。この辺りには他にコンビニがないので、一息入れるにはもってこいだろう。
さて、ここから下石野駅跡までどう進むかだが、最短だと三木市に入るまでは県道20号を直進ということになる。ただ、この区間も路側帯のみか、歩道整備中の区間(筆者が訪問した時には、コンビニから交差点を渡ってしばらく行ったあたりまでが歩道整備中だった)。整備工事がどれだけ進んでいるかにもよるが、いずれにせよ歩く際には細心の注意を払ってほしい。
三田市に丁度入ったところに「前田造園土木」という会社があり、その手前に、斜めに向かって細い道の入口があり、この道に入るのが一番早い。かなりグネグネした道だが、ほどなく下石野駅跡にたどり着くはずだ。そして、この下石野駅跡からが、遊歩道区間となる。
※前田造園土木から遊歩道入口までの地図はこちら。(GoogleMap)
評価が分かれる整備具合 三木市内遊歩道区間(下石野駅跡~三木駅)
先ほどまでの加古川市側が嘘のように、ここからは歩きやすくなる。なにしろ、あとは終点の三木駅まで一直線なのだ。ここまでくれば、残り距離は4.6kmなので、途中で撮影などしたりしながらでも1時間半程度で三木駅にたどり着ける。
周辺は郊外の農村と言った風情で、広々とした風景が心地いい。遠くには三木市街のイオンの看板なども拝め、それがだんだん近づいてくるのはなかなか風情がある。前述の通り、駅跡のプレートや、一部駅ではホームなども残っているので、写真撮影にも熱が入るだろう。
終点間近で唯一、鉄道時代の橋がなくなったことで川に行く手を遮られる場所があるが(すぐ横に別の橋が架かっているので進行は容易)、ここなどもわざわざ土台の跡を残していたりと、ちゃんと小技も利かせている。
ただし、先述の通りあまりにも綺麗に整備され過ぎているため、廃線特有の雑然とした寂寞感は薄い。スッキリしすぎていて、逆にひっかかりがないのだ。
廃線巡りという趣味に何を求めるかで、このあたりの評価は変わってくるだろう。
何はともあれ、距離が距離なので、廃線のことをあれこれ考えながら歩いていれば、あっさり三木駅跡についてしまうだろう。構内(三木鉄道公園)は往時をしのばせる広さで、到着の満足感をより高めてくれること必至だ。
なお、代替バスは公園入口のロータリーから発車するので、復路で利用する場合にも特に乗り場で迷うことはないだろう。
廃線跡にほぼそっくり並走する三木線代替バス
代替バスについては、三木鉄道廃止以来、神姫バスが運行している。30・31系統がそれにあたり、30系統は三木営業所発、31系統は恵比寿駅発。三木鉄道公園から厄神駅まではルート共通となっており、三木鉄道公園から厄神駅までは県道20号加古川三田線を直進、加古川に突き当たったところで厄神駅方面に曲がるルートを取る。
三木線は、厄神駅周辺のごく一部を除いては、ほとんどの区間で県道20号に並行するルートを取っていた。つまり、多少線路跡との距離はあるものの、三木線とほぼ完全に並行した経路になるため、地域の雰囲気を味わうという点では三木線とのギャップはほとんどない。位置関係さえ把握しておけばバスから線路跡を拝める箇所も多いので、廃線の疑似体験をするにはもってこいだろう。
バスの本数としては、30系統と31系統が交互に運行される形を取っている。昼頃など一部間隔が空く時間を除いては、概ね平日は1~2時間に一本、土日でも2時間に一本程度の本数は確保されているため、廃線の代替バスとしてはかなり使いやすい部類と言っていい。
ただし、土日の終バスは早いので、この点は注意が必要だろう。
また、もし粟生線三木駅~三木鉄道公園間を歩いてアクセスするのであれば、徒歩だと15分弱かかるので、その分を計算にいれることを忘れないようにしたい。
気軽に踏破しやすい初心者向け路線なのは確か
三木線は距離が短い上、前述の通り三木市の区間が遊歩道化されているため、徒歩でも踏破しやすい。県道部分が歩道の未整備具合が気になるが、全体としてはかなり歩きやすい部類の路線と言っていいだろう。
途中で色々書いてしまった通り、自治体ごとの整備状態のあまりの落差や、整備のコンセプトに多少物足りなさを感じてしまう部分はある。
ただ、客観的に言って色々な角度から廃線というものを気軽に楽しめるのは確かだ。贅沢を求めないのであれば、廃線初心者にはなじみやすい路線の一つだと思う。
スポンサードリンク