現在の広島市の市内交通の要とも言える存在が、広電の路面電車だ。一部を除き大部分の路面電車が危機に瀕するなかで、広電の存在は際立っている。

その広電の隆盛の一方で、高度成長期まで広島市の東部を縦貫する役割を細々と担っていた路線がある。国鉄宇品線だ。もっとも、役割を担ったとはいっても「息も絶え絶え」状態だったわけで、先はもう見えていたわけだが。

そんな国鉄宇品線の廃線跡を実際に歩いてきた。道路化されてしまっているものの、みるべきところは十分にある路線なので、訪れてみる際の参考にしてほしい。

※以下、当記事中のデータは、取材時点でのものです。

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痕跡は少ないが辿りやすい 競争に敗れた都市型路線の面影

宇品線は国鉄の中でも廃線に至る決断が際立って早かった路線だが、その経緯を含めて一言で表現するなら「競合に敗れた都市型路線」ということにつきる。

戦後になってしばらくは沿線の通勤通学需要を担っていたが、戦後の復旧とともに公共施設が沿線から移転した上、バスや広島電鉄との競合が激しくなる。結果、市街地路線にも関わらず、最終的に営業係数は国鉄全線中最悪の4049という値を叩きだした。

1966年以降は原則として定期利用者に限定(車内での購入は可)した、「時刻表に乗っていない旅客営業路線」という特異な存在となっていたことで知られるが、この時点で既に鉄道として「終わった」状況だったのは明確に見て取れる。

そんな宇品線だが、都市型路線だったこともあって、線路跡は終点近くの丹那~宇品間の緑地帯を除けば、基本的には道路か宅地化されている。線路跡の痕跡はほとんどの区間でないに等しいが、概ね当時の線路跡に近い形で道路が作られているため、だいたいのルートを辿ることは容易だ。

駅跡・駅舎などの史跡も、ほぼ残っていないものの、かわりに駅跡近くが公園になったり、モニュメントなどが置かれているため、廃線を辿っているという感覚は味わいやすいだろう。

徒歩でも2時間以内!国鉄宇品線を踏破する

徒歩の場合のルートを、以下順に説明していく。なお、この時の所要時間は多少寄り道をしながら広島~宇品駅跡までの片道で1時間50分強だった(そのあと宇品港までの移動などは含まない)。

中心部から住宅街へ 広島駅~大須口駅跡~南段原駅跡付近~宇品線記念碑

広島駅から線路に沿って歩いていくと、マツダスタジアムが見えてくる。このあたりの道は緩やかにカーブして山陽本線の線路から離れていく形をとっており、まさに元線路の雰囲気が残っている。
ただし、整備はされつくされているので、あくまで雰囲気だけで、痕跡は全くうかがえない。

宇品線跡(広島駅近く)
広島駅からマツダアリーナへの途中。道路がこの辺から緩くカーブしていく。

そのまま道なりに県道164号を渡ったあたりが大須口駅の駅跡にあたる。丁度スズキアリーナ広島中央店のあたりだが、モニュメント等はない。ただ、店のそばに唐突に空き地があり、何となくだが廃線の痕跡を思い起こさせてくれる。

宇品線大洲口駅近辺
スズキそばの空き地。

そのまま猿猴川を渡る。もちろん、鉄橋の痕跡などは微塵もないが、途中に鉄道を模したと思われる小さな公園があったりして、目を楽しませてくれる。最短ルートを辿るなら、そのまま大通りを南下し、段原山崎交差点を過ぎたところで、一本西側の小道に移り、西南方向へ進むのが早い。

この途中が南段原駅の駅跡に当たるが、再開発で街区そのものが完全に変貌しているため、面影は全くない。その代わりに、進んでいった右手に段原南第五公園、続けて宇品線の記念碑が現れる。記念碑はかつての線路沿いなので、ルート上は大幅にはズレているわけではない。段原南第五公園はそのままズバリ宇品線公園とも言い、動輪などが置かれている。

段原南第五公園(宇品線公園)
段原南第五公園(宇品線公園)に置かれた線路と動輪

広大病院を含む市街地区間 上大河駅跡~下大河駅跡~丹那駅跡付近

そこからすぐに大通りが目の前に現れる。この大通りがバス通りに当たるのだけれど、そちらには移動せずに、2車線道路の方を道なりに、左手に進む。

宇品線線路跡の一部
文中で触れた大通りとの合流地点。ここでは左手の細い方に進むのが正解。

ほどなく広島大学病院のそばを通る。上大河駅はこのあたりで、駅北側にあった比治山第三踏切がちょうど「広島大学附属病院前交差点」となっているが、モニュメントなどはない。

基本この後はずっと道なりのルートになる。国道2号線を渡って900M弱進むと、右手に小公園「ポッポ広場」が現れる。ここが下大河駅の跡地に当たり、モニュメントが設置されている。

ポッポ広場からさらに600Mほど進むと、黄金山通りとの交差点(広島南警察署前交差点)にぶつかる。この交差点の北東角に線路などのモニュメント、交差点を挟んで対角線上に、丹那駅の駅名標(もちろんレプリカ)に当時の駅の写真を載せた「鉄道伝説ゆかりの地」モニュメントが設置されている。
ただし、丹那駅についても、厳密な位置とは多少のズレがある。

宇品線丹奈駅付近のモニュメント
宇品線丹奈駅付近のモニュメント。交差点を挟んで対角線上に丹奈駅の駅標レプリカがある。

数少ない痕跡が残る 丹奈駅跡付近~下丹那駅跡~宇品駅

ここからは広島港まで続く比較的広い通りになるが、線路わきの明らかに幅広の緑地帯には地元の方が作った菜園や、ミニゴルフ場が続く。おそらく、これが宇品線の線路跡と思われる。

この辺りは近くに工場、遠くに高速道を臨みつつ進むことになるが、そんなにみはらしがいいわけでもない(高台というわけでもない)のに、思いのほか雰囲気はすっきりしていて、歩いていてかなり気分はいいはずだ。途中には下丹那駅の駅標レプリカも設置されている。

宇品線下丹奈駅駅標レプリカ
宇品線下丹奈駅駅標レプリカ

そして、終点である宇品駅だが、道路の左手わきにホーム上にあった陸軍糧秣支廠の壁の一部と記念碑があるのみ。ホーム自体の痕跡などはないので、あらかじめ知っていないと見逃してしまうだろう。

宇品線宇品駅跡
文中で触れた壁の一部というのがこれ。知らないとそもそも気づかないだろう。

ちなみに、宇品駅から広電の宇品港駅までは、1キロ強距離がある。時間にして15分くらいは歩くことになるので、もし広電で広島駅まで戻るなら、時間には余裕を見ておいた方がいい。

全体として見ると、距離としてはそこそこ長いものの、歩くのに不便な箇所もなく、スムーズに進むことができる。ルート的にも、あらかじめざっと知っておきさえすれば迷う様な場所もないので、かなり踏破しやすい部類の廃線と言えるだろう。

実はニーズはあった?国鉄宇品線の「実質的」代替交通が登場

早々に廃止された路線なので意外に思われるだろうが、宇品線のルートを忠実にたどる代替交通は長らく存在しなかった。

確かに宇品港には広電の宇品線が乗り入れているけれど、名前こそ同じとはいえ、途中のルートが1キロ強西寄りにずれている。歩けなくはない距離ではあるけれど、都心部の路線として考えると、代替というには少々心もとない。

ではバスならどうかというと、確かに途中バスが通っている部分もあるにはあるものの、国鉄宇品線のように南北に縦貫するルートを取る路線はなかった。広島バスに同名の宇品線という路線はあるけれど、これも宇品には行くものの、国鉄宇品線が通っていた区間については見事なまでにスルーしている。

もっとも、バスですらそんな状態が長く続いていたことを考えると、国鉄宇品線の縦貫ルート自体需要が少なかったのだろうが、それにしたって、曲がりなりにも市街地が大半を占める地域。学校や病院などもある以上、多いとまでは言えないにしても、そこそこニーズはありそうなものだ。

そう考えたのは筆者だけではなかったのか、2020年1月になって、ついに「かなり」近いルートを走る、代替と言えそうなバス路線が新設された。

広島バスの「みなと新線」という路線で、広島駅から段原の中心部や広島大学病院、県立広島大、競輪場を経由して広島港桟橋までを結ぶ。

「かなり」とわざわざ断った以上、もちろんこの路線も国鉄宇品線の後を辿るわけではない。ただ、ルートとしては丁度広電宇品線と廃線跡との中間部分を縦貫するし、段原付近では廃線跡ルートと最接近する。ここまで近づけば、実質国鉄宇品線が担っていたニーズは十分果たせると言っていいだろう。

また、同時に新設される路線「まちのわループ」も、広島港方面まではいかないもののかなり近いルートを走る。

広島では、広島バス・広電をはじめ幅広く使える「広島たびパス」というフリーパスが販売されているので(1日券なら1000円)、これを使えば廃線跡を辿るにしてもかなり気楽に廻れるはずだ。

過疎地域とも異なる、都市型鉄道ならではの困難さ

ここまで国鉄宇品線についてみてきたが、現地に行ってみると、「競争に敗れて廃止された」という事実に若干の戸惑いを感じるはずだ。筆者も、広島駅からしばらく歩いてみて、なぜ廃止になったんだ、という疑問しか感じなかった。

なにしろ、広島駅からずっと、市街地ばかりなのだ。それも、別に落ち着いた住宅街というわけでもない。スタジアムはあるわ、大学をはじめとして赤字路線の救世主である学校もあるわ。

大きな通り沿いにはビルが立ち並び、テナントの店もたんまり入っている。大通りから逸れればもちろん住宅街に入るけれど、それにしたって見るからに人口は多そう。つまり、全国有数の赤字を叩きだすような要素が、何一つ見当たらなかったのだ。

前述のとおり、最近になってとはいえバスも新設されたりと、実際の移動そのものが少なかったとも考えづらい。他にやりようはなかったのか、と思えてしまう。

ただ、それも後付けのタラレバなのかもしれない。潜在的な事情はともかく、国鉄宇品線が、廃止当時バスにさらっと奪われてしまう程度の影響力しか持ち得ていなかったのは事実だ。

それに、仮に国鉄宇品線が存続していたとしたら、ここまで発展していたのか。線路跡が道路になっている以上、もし廃止になっていなかったら道路一つとっても現在のように整ったものにはなっていなかっただろう。

実際に、沿線でも段原のあたりは、80年代以降に本格化した再開発でほとんど原型をとどめないほどに変貌しているという。

先に路面電車は町の交通を阻害すると書いたけれど、それは国鉄や私鉄の路線だって同じなのだ。
街づくりと需要のどちらを優先するかを考えた時、宇品線の命脈は既に尽きていたのかもしれない。

時代が違うとはいえ、過疎地域の赤字路線とはまた違った、都市型交通機関だからこその難しい事情をまざまざと見せつけてくれる典型的な例だと言えるだろう。

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