塩釜線という路線をご存じだろうか。

宮城県の塩釜周辺にあった路線だが、戦後すぐに貨物線となったために、鉄道マニアでない限りは名前どころか存在さえ知らないだろうドマイナーっぷりを誇る。

とはいえ、この塩釜線、元々は大幹線・東北本線の終点だったという由緒正しい経歴を持つ。当時の東北本線は、上野~塩竈までのどん詰まり路線に過ぎなかったためだ。

その後東北本線が途中分岐して延伸していったために取り残されたように盲腸線となったわけだが、その経緯から貨物線として単独の正式路線名を持っていた数少ない例としても有名だ。

そして、この塩釜線、廃線跡としてもなかなか密度が濃い。

※以下、当記事中のデータは、取材時点でのものです。

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ドマイナー路線の廃線跡はお手軽さも環境も高レベル

塩釜線という路線を一言で表現するなら、「短い」の一言に尽きる。なにしろ、ルートだけをみるなら東北本線と仙石線のごく短いスキマ部分を短絡していただけなのだから。旅客営業が早々に廃止されてしまったのもうなづかざるを得ない、そういう路線なのだ。

そんな塩釜線だが、廃線跡を探訪する側にとっては、かなり恵まれた環境にある。廃線に対して恵まれた環境というのも根本的におかしいのだけれど、実際にそうなのだ。

単独区間(東北本線分岐~仙石線分岐の間)については、廃線跡がかなり大規模に空き地として残り、未整備ではあるものの事実上散歩道などとして使われている。線路などははがされているものの、廃線の雰囲気は十分に味わえる規模だ。

一方、住宅街に転用されて痕跡が残らない区間も多く、割合的には空き地区間よりもやや多め。ただ、この単独区間はそもそも距離が短いため、踏破中にダレてしまうことはないだろう。

そして、仙石線と並走する部分に関しては、仙石線の高架そばに線路跡を活用した遊歩道が続いており、整備されながらも当時の雰囲気を想像するのに十分な空気感を醸し出している。

これだけ短距離、しかも政令指定都市近郊という環境にありながら、集中的に様々な廃線跡の表情をかわるがわる味わえる路線というのもなかなか少ないだろう。

痕跡が次々登場!塩釜線廃線跡の様々な表情

塩釜線の起点は陸前山王駅だけれど、線路上はお隣の国府多賀城駅までは東北本線に並行していて、その先で別れていく。そのため、歩くにしても陸前山王駅からにこだわる必要はあまりない。

筆者はそれでも自己満足で陸前山王駅から歩いたけれど、国府多賀城駅までがかなり距離があるので、時間のロスが大きい。

第一、そこまでしても、この区間は線路自体は道路からほぼ見えない。跨線橋で線路を跨いで、その先国府多賀城まで続く一本道にでるまでがかなり長いのだけれど、これはつまり、それだけ線路から距離があるということだからだ。道路自体は歩きやすい道だし、途中にコンビニもあるのだけれど、廃線歩きという観点ではほとんど意味がない。

陸前山王駅
陸前山王駅。塩釜線の書類上の起点はこの駅だが、ここから歩きはじめる意味はあまりない。

よほどこだわるのでなければ、国府多賀城駅から歩き始めた方が気楽に臨めると思う。なにより国府多賀城駅の2番線はまさに塩釜線の線路跡に当たるので、その意味でも陸前山王よりもスタート地点として気分が盛り上がるだろう。

 

なお、塩釜線跡は一部のルートがややこしいため、仙石線との合流地点までの地図を示しておく(GoogleMap)。ただ、廃線跡の歩道などは検出できないため、廃線跡に一番近い一般道を進むルートになっていることはご了承いただきたい。

到着までがややこしい!東北本線と塩釜線の分岐地点付近

国府多賀城駅からは、北口から出れば跨線橋を越えていくルート、南口からだと多賀城廃寺跡の側を通っていくことになる。

いずれでも、最終的には多賀城廃寺跡から見て北東方向の、細い一般道を進んでいくことになる。すると、いきなり左手に不自然に広い、そして長々と続く空き地が現れる。

延々続く塩釜線跡の空き地
延々続く塩釜線跡の空き地

この延々続く空き地が、まさに塩釜線跡だ。この地点で振り返ると、ガードレールを挟んで不自然な、丁度線路の掘割のような草むらが奥へ続いているのだが、これは塩釜線が東北本線から分岐したあと、この地点まで抜けて来ていた通路に当たる。

塩釜線跡(東北本線分岐直後)
東北本線分岐直後の掘割と思われるのがこちら。

少し高台になっているうえに、それまで家が立て込んでいた中でいきなり視界が開けるので、かなり気分がいい。塩釜線でルート取りが一番複雑なのは、この地点にたどり着くまでだ。

散歩道となった塩釜線の廃線跡

塩釜線の線路跡の空き地は、緑地帯というには放置され過ぎで立ち入りようがない所も多い。

とはいえ、しばらく進んでいくと草がさほど生い茂っていない、普通に歩けそうな空き地も現れてくる。実際、地域の方の中には、散歩道として使う方もいるようだ。この辺りでは一応舗装された一般道も並行しているので、どちらでも好きな方を選んで進めばいい。

塩釜線跡
歩けそうな空き地の一例。

ただ、一部ガードレールなどでがっちりと遮られている箇所などもあるので、その部分については一般道を使った方がいいだろう。多少線路跡とは逸れるものの、線路跡の方向に向かって進んでいけば、迷うことはないはずだ。

ほどなく、ちょっとした小川にぶつかるが、そこから線路跡の方向を眺めると、コンクリート製の橋桁が確認できる。小川自体は近くに橋が架かっているので、すぐに越すことができる。

塩釜線橋桁跡
小川から見える、塩釜線跡の橋桁。

そこから線路跡の方に行くと、線路跡に昇れる砂利道がある。ここも、整備はされていないものの、先ほどの空き地と同じく地元の方の散歩道になっているようだ。

個人的には、ここが塩釜線廃線跡のハイライト。それまでの空き地状の線路跡もなかなかだが、この区間は線路跡の路盤の盛り具合といい、まさに「線路」という雰囲気で盛り上がる。距離はそれほど長くないが、廃線跡を歩いている、ということを実感させてくれるはずだ。

塩釜線跡
塩釜線跡。写真的には地味だが、私的にはこのあたりが一番線路っぽく感じた。

住宅街を抜けて仙石線との合流・遊歩道まで

この区間が終わると、線路跡は住宅街に飲みこまれていく。ここから先は、現仙石線と合流する地点まで、廃線跡を思わせるものは何もない。

ルート自体は道なりに進めばいいだけなので、すんなり進める。合流直前で丘を越えるため坂道がかなり長く続くのが少々つらいが、それが最後の関門だろう。

丘を越えるとすぐに南錦町第三公園という公園があり、その向こうに仙石線の高架が見えてくる。仙石線の駅でいうと、下馬駅と西塩釜駅の中間地点に当たるが、ここが塩釜線との合流地点になる。

塩釜線・仙石線合流直前
塩釜線・仙石線合流直前。いかにも鉄道という感じの演出が。

そのまま坂道を降りて進むと、高架に沿う様な形で遊歩道が現れる。これが塩釜線の線路跡で、あとはずっと高架に沿って、本塩釜駅のすぐ近くまで続く。

仙石線高架と塩釜線跡遊歩道
仙石線高架と塩釜線跡遊歩道

この遊歩道は完全に塩釜線の存在を意識しており、途中にちょっとした記念碑なども設置されていて目を楽しませてくれる。

仙石線跡遊歩道の線路跡
遊歩道に残されている、線路跡モニュメント

塩釜埠頭駅跡地・イオンタウンでゆっくり休憩を

遊歩道は本塩釜駅まであと少しのところで途切れるが、高架脇に道は続いているので、そのまま高架に沿って歩いていけばいい。

ただし、塩釜線の終点である塩釜埠頭(新)駅は、本塩釜駅とは微妙に位置が違う。駅の東北東方面にある「イオンタウン塩釜」がその跡地だ。痕跡などはないが、ここまできたのだから訪れておきたい。イオンタウンの例に漏れず非常に規模の大きい店なので、休憩するにはうってつけだ。

イオンタウンの例に漏れず、フードコートなど飲食関係も充実しているので、もし以下の貨物線跡まで回るなら、ここで空腹を満たすのも悪くない。

イオンタウン塩釜
塩釜埠頭駅跡地にあたるイオンタウン塩釜。本塩釜駅の側にあり、文句なしの大型店。

塩釜魚市場駅へ!余裕があれば貨物専用線跡巡りもいい

なお、旅客線としての塩釜線はここまでだが、この先に最初から貨物専用線として作られた区間があり、塩釜沿岸の工業地帯方面と、塩釜魚市場方面の2系統に分岐して続いていた。

工業地帯方面の方は、塩釜埠頭(旧)駅があったが、こちらの方は明確にそれと分かるような痕跡は残っていない。個人的には、廃線跡巡りとしては印象は薄かった。

ちなみに、工業地帯付近にはミヤコーバスが路線を一応持っているものの、一日2~3本と極めて本数が少ないため、よほどタイミングがよくなければ利用不可能と考えた方がいい。

一方、塩釜魚市場駅跡方面の方は、駅跡こそ微塵も残っていないものの、ぱっと見ただけでもそれと分かる痕跡があちこちで見られる。魚市場というだけあって、周辺には魚料理店も点在しているので、グルメ方面の楽しみもある。

こちらは、日中であれば1時間あたり1~2本程度バスがあるので、利用しやすい。

塩釜魚市場方面は距離自体は長いが、バスの使いやすさなども含め訪問しやすいので、こちらだけでも回ってみるのもおすすめだ。

都合に合わせて楽しめる、廃線巡りの醍醐味

塩釜線は、単独区間だけでも路線全体でも、非常に短い。ただ、その短い距離の中に、廃線の醍醐味が凝縮されている。

もっとも、貨物専用線だった部分まで含めると一気にスケールが大きくなるが、塩釜市内の観光も兼ねて回れば悪くないだろう。

最小限の時間で済ませるもよし、たっぷり時間をかけて巡ってもよし。それこそ、都合に合わせて楽しみ方を決められるのは、本路線ならではだろう。いずれにしても、かつては東北本線の終点だったという、知られざる伝統を感じながら回ってみてほしい。

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