雪月堂です。もう年が改まってからかなり立ってしまいましたが、自分への忘備録も兼ねて、今さらながら新年の話題をしてみたいと思います。まあ、今ちょうど年度替わりだし、ある意味似たような時期だよね(違うか…)
私の新年は毎年のことながら、のんびりしつつもバタバタしたものでした。ここ数年転職が続いて収入がまったく安定しないこともあり、親族も心配顔でなんともやりどころがないのがつらいところです。
心配してくれるだけマシなのは自分でも分かっているんですが、どうしても自然に会話の内容は仕事や収入の話になります。そうなると、やはり会話に愚痴が多くなってしまい、ホント悪いなぁ、と感じてしまいます。避けたいのはやまやまなのですが・・・。
今年はまずこの愚痴をなくすのが第一目標です。愚痴を周囲に聞いてもらうことで発散になる人もいますが、これは本当に性格次第で、私の場合は言えば言うほどどんどん落ち込んで行ってしまう悪循環にハマってしまうので。
そんなわけで、例年にも増して気合を入れて初詣に行きました。
初詣は、いくたびに独特の張りつめた雰囲気が感じられて、私としては結構楽しみにしている行事です。集まる人たちも、今年一年の願掛けをするわけですから結構神妙な感じで、普段の日常とは離れた雰囲気が漂っています。
新年に願掛けするというのは、自分に気合を入れるという意味もあるなぁと思っています。
願掛け自体がいわば「そうなってほしいこと」をお願いするわけですから、自分の中でも今年実現してほしい理想が明確になります。そうなると、自然に自分の中でもやる気が出てくるんです。
年末なんて特に忙しいので頭がこんがらがって、理想もへったくれもなくなってしまっているのですが、そういう混乱した思考を一旦鎮めて、改めて自分の理想を見つめ直すという感じでしょうか。新しい年が何か改まった雰囲気を持っているのは、そうした点が大きいでしょう。
考えてみたら、初詣に限らず、新年前後のイベントって、何気に見つめなおしというか、「リセット、リスタート」が一大テーマになっているものがほとんどのように思います。雰囲気は行事によって様々ですが、基本的には新年というのを節目として、一旦モードを切り替えてしまう。昨年がどうであれ、新年は心新たに。そういった決意を、ごく自然な流れでできるようになっているんですよね。
そういう意味では、大昔に年で分けるシステムを考えた人の功績は偉大だと思います。もちろん、こんな効果を意図していたのかはわかりませんが。
ということで、この時期にこんなことを書いたのは、先日さっそく某知人に見苦しい愚痴を思い切りぶちかましてしまいまして、初心に返ろうという、そういう個人的な事情によるものに他なりません。…うん、本当になんとかしなきゃなあ…
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