「若い頃に読みたかった」と言われる文学は多い。
感受性が豊かな時期だけによりのめりこめただろう、という意味で。
確かに、自分を顧みても、これはその通りだ。若い頃に読んだ本というのは、そりゃ気に入ったものもあればハマれなかったものもあるけれど、いずれにせよ印象への残り方は違う。
衝撃も大きい。
ただ、これは良し悪しで、マイナスの意味での影響も大きい。
例えば、感情移入するあまりに、本の内容いかんではガクリと落ち込んでしまうというパターンだ。
個人差によって影響のある本とない本の違いはあるものの、効いた場合は本当に派手に効いてしまう。
長い人生の中でそれが本当にマイナスかどうかはさておき、そういうリスクがあることは事実だろう。
本というのは、思った以上に「取り扱い注意」なものでもあるのだ。
個人差があると言ったが、それだけにこうした「取り扱い注意本」というのは枚挙にいとまがない。
実際に、そうした本ばかりを敢えて集めたブックガイドというのも発売されている。
私の場合、そうした本の筆頭に挙げたい一冊が『人間失格』(太宰治/新潮文庫他)だ。
高校の時にこれを読み、その後半年にわたって落ち込んで何も手につかなくなってしまったという苦い思い出がある。
太宰文学の総決算と言われることも多い本書だが、どちらかというと太宰の中では異色作だ。
破滅指向が強いのは他作品と同様なのだけれど、本書が違うのは、それまでの作品では抑制されていた作者本人の本音(と思われる部分)が、露骨に表面に出ていることだ。
もちろん本作もフィクションとして作られてはいるものの、明らかに毛色が違う。
風刺的視点などというものではなく、もはや作者本人の叫びに近いのだ。
恵まれた環境に生まれながら、世間になじむことができないままに、精神的な破綻を迎える一人の男を、本人の手記という形で描いた本作は、脚色こそされているものの太宰の人生があからさまに流れに反映されている。
そこで描かれるのは、世俗に染まれない中での主人公なりの必死のあがきだ。
そうした内容だけに、意外なことに太宰作品の中でも、展開の起伏は激しめだ。
暗いばかりと思われがちな本作だけれど、実はある意味では派手なのである。
それゆえ、感情の表出具合も一切の遠慮がない。自責という意味でも、他責という意味でも。
その激しさは、ある種パンクロックを思わせるほどだが、それだけに「効く」タイプの読者への影響力はすさまじい。
絶望に至るまでの作者の思考の流れに、そのまま巻き込まれ、シンクロしてしまうのだ。
もっとも、こうした内容だけに本作は好き嫌いが極端に分かれる。
そもそも愛好家の中でさえ、甘えた価値観であることは認めざるを得ないという意見が多い。
主人公はいわば大人になれなかった者であり、だから逆に、冷静に眺めてしまえばその行動原理は子供のそれでしかないのだ。
実際、影響を受けた私にしても、今読み返してみると「これは…」と思ってしまう部分はある。
さらに言えば、本作は別記事でも述べた認知療法などの世界でも、しばしばネタとして引き合いに出される作品でもある。
主人公が絶望に至るまでの思考回路、それ自体があまりにも早急かつ短絡的で、合理性が皆無なのだ。
認知療法で言われる、「歪んだ現実認識」「決めつけ」「完璧主義」etc…の塊なのである。
だから、冷めた第三者の目で見てしまえば、主人公の言動はハッキリ言って滑稽以外の何物でもない。
けれど、そうしたフィルタを通すくらいなら、そもそも最初から本作に目を通す価値はほとんどない。
本作はあくまで「理屈はどうであれ、結果的にこういう生き方しかできなかった人間の絶望の雄叫び」なのだ。
それを真っ向から受け止めてはじめて、本作はその真価を発揮する。
だからこそ、影響を受けやすいという困った作品なのだけれど…
繰り返すが相性の良しあしはあるし、いずれにせよ扱いに困る作品ではある。
けれど、主人公の甘えを差っ引いても、強烈な社会への怒りに満ちた本作は、共感のポテンシャルは極めて高い。
世俗の垢にまみれた自分に、時たまであっても一抹の疑問を抱いてしまうことがあるなら、破綻した男の語りに多かれ少なかれ、ぐっと引き付けられるものを感じるはずだ。
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