わたしたちは常識や規範をなんだかんだで好む。
どんなに普段、それらをうっとおしいと内心思っていても、それらを仮に捨ててしまったとしたら、自分の価値基準が崩れてしまうからだ。
社会の中で、そんな状態で生きていくことは、恐ろしくキツイハズだ。価値基準がなくなるということは、何を信じていいのかさえ分からないという事なのだから。

もっとも、その常識も、それどころか社会そのものの規範も、時代によってコロコロ変わることはご存知の通りだ。
そんな不確定さがわかっていても、私たちはそれを信じ続ける。
効率的に、楽な生き方としてだ。
ただ、この生き方が効率的なのは、あくまで状況が固定されている間だけで、その前提条件が覆ったときにはあっという間に対応できなくなってしまう。
楽な生き方は、ある意味では思考停止状態と変わらないのだ。

その思考停止状態を、科学の不確かさという切り口で根底から揺さぶってくれるのが『99.9%は仮説 思い込みで判断しないための考え方』(竹内薫/光文社新書)だ。
10年以上前の本なので、多少紹介されている事例に古いものも含まれているけれど、本書に関してはそんなことは大して問題ではない。

本書は、読みだしはいかにも科学本っぽいが、厳密には科学に限定した本ではない。
説明の手段として科学を主に用いているだけだし、根本的な主張は、常識ばかりにとらわれず、頭を柔らかくして社会と人間関係を実りあるものにしていこう、といういたって良識的かつ普遍的なものだ。
ただ、その良識的な結論に至るまでの説明の過程はひたすら衝撃的だ。
なにしろ、前提条件が「この世の全ては、結局仮説にすぎない」というものなのだから。

わたしたちは、「科学」と聞くと、理論までしっかりと検証も証明もされた、厳密な学問を思い浮かべる。
けれど、本書で明かされる科学という学問の実情は、そのイメージとはまるでそぐわない。
飛行機が飛ぶ理論は、実は今だに実証されていない、という、航空機ユーザーにとっては恐ろしい(しかし理屈はともかく事実として飛んでいるのだから何らの問題はない)事実を話のとば口として、本書で矢継ぎ早に明かされる事実は、素人にとっては衝撃的だ。
これだけでも雑学本としても十分以上にやっていける刺激的な内容だ。

ただ、本書の場合はその先がある。哲学に踏み込み、そして社会や人間関係の話につなげていくのだ。
この辺りになると、常識はおろか、認識の根底がひっくり返されるような話になってくるし、頭もくらくらしてくる。
直接的に脳みそをかき回されるような感覚だ。ここまで気持ちと思考がかき乱される読書というのも、そうそうない体験だ。
そして、混乱しながら、一抹の不安を覚える。自分の存在自体に不安を覚えるようになってくるのだ。

ここまでいくとむしろ諦めの境地に達してしまいそうになるのだけれど、ここで筆者は逃げない。
それが、本書の本書なりの所以だ。
筆者は、決してすべてを信じるななどという話にもっていこうとしているわけではないからだ。

ただ、目の前のものがいつか覆るかもしれない仮説にすぎないことを認識する。
その上で、考えていこうと言っているのだ。

結局、この世に確かなものなど何もない。けれど、わからないならわからないなりに、できることはある。
そもそも前提が違う相手に対しても、それを乗り越える立場はとりうる。
細かい理論展開は実際に本を見ていただくとして、著者が言っていることは要はそういう事だ。
結論だけを取るとありきたりな良識論にも見えてしまいかねない穏健さだ。
けれど、一冊を通して読んだときには、この一見無難な結論さえも、印象がガラっと変わっているはずだ。

過激さを謳う本というのは世にあふれているけれど、インパクトのみを重視した見掛け倒しのものも少なくない。
その点では、本書は「本物」だ。
わかりやすい、真面目、真摯と三拍子そろった優等生的な内容でありながら、すさまじいショックを与えてくる、まごうことなき「過激本」である。

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