一般誌のお色気ものと成人向け直球作品というのは、似て非なるものです。
例外はありますが、基本的に成人向けというのは行くところまで行った行為そのものをモロに描くこと、それ自体が存在意義です。
一部、凝ったストーリーラインのある作品も存在はしますが、大半のそれは読者の欲求を、ひたすらストレートに絵として描き出すことに特化しています。
一方、一般誌でお色気をやろうとした場合、これができない。
物語の内容が重視されない傾向が強いのは成人向けと変わらないのですが、制約の大きさゆえに、成人向けとはまったく違ったアプローチが作家には要求されます。
「直接描写はもちろん、本来そうなるだろう流れを徹底的に避けつつ、それでいて読者の欲求は満たす実用品でなければならない」本来矛盾した作劇が求められるわけで、技術的な要求水準は極めて高いと言えます。
結果として、この手の作品というのは寸止めでいかにやらしく見せるか、また、いかにそれっぽいシチュエーションに持ち込むかといった環境づくりでの創意工夫に力点が置かれるようになりました。
ですが、いかに工夫しようが、状況的にどうしても無理が生じるのはこの手の作品では避けられません。
結果として編み出されたのが、ほとんど笑うしかないような舞台設定と、それでもお色気方向にねじ込む強引な展開手法。
このジャンル特有のおバカさ加減は、そこに由来します。
ただ、確かにおバカなんだけれど、こうした作劇技術はその分職人芸に近い。
パターンとして完成されており、ある意味では伝統工芸です。
だから目的とするのが女性の色っぽい姿というのは変わらないけれど、一般誌のそれは、成人向けのストレートさとはかなり印象も楽しみどころも違う。
誌面規制のきわきわのところを行き来するチャレンジングな描写っぷりと「ネタ」としての側面がつよい強引な展開。
こんなんあるかあ!と思われることは先刻承知。それを前提にしたうえで、男性読者のある意味素朴極まりない欲求に応えるのです。
こんなこと、あったらいいなあという、一種の夢という側面が強いんですよね。
もっとも、最近では一般誌と成人向けの差異もかなり曖昧なものになってきた分、そういう素朴な作品は不利です。
特に青年誌だと、昔だったらガチの成人向けだったレベルの作品が平気で載ってたりしますし、載せられるのであれば過激な方に流れるのは人間のさがってもんでしょう。
結果、いわゆる「昔ながらの寸止めお色気モノ」は、それこそ少年誌系統での掲載がメインになってしまっていた感さえありました。
そういう意味では、「なんでここに先生が?」は、そのテイストを一般青年誌であるヤンマガでいまだに忠実に貫き通している、貴重な作品と言えるでしょう。
出演する女教師のお歴々とのあざといまでのハプニングばかりが、まるでマシンガンのように連射される本作は、少年誌系に比べると描写はより露骨とはいえ、昔ながらのお色気もののパターンを見事なまでに踏襲しています。
直接描写に頼れないがゆえの絵のかわいさ、トラブルの内容のバカさ加減、そしてその結果として読者の眼前に展開される先生たちの艶姿の数々。
話そのものの内容のなさもこの手の漫画の王道そのまま。
本作には、ひねりなど欠片ほども存在しません。あるのはひたすら、「お色気コメディのお決まりパターン」のみですし、作品としての個性は正直希薄です。
ですが、それこそが本作の長所です。
青年誌のマンガというのはどうしても凝った方向に行きがちな面がありますが、お色気コメディに限ってはそうした複雑さは害にしかならないからです。
実際、本作はそうした複雑さを徹底して排除していますが、おそらく意図的なものでしょう。
特にいいのがキャラの造形の割り切りっぷりです。
先生を勤めている以上、オトナな女性たちなわけで、それなりに複雑な陰影があってもよさそうなものなのに、本作の女性キャラたちにはそれがない。
もちろん、本人たちなりの事情はあるものの、現実では今時いないだろってレベルで純真だし、それは男性キャラも同様。
ストーリーものになれていると、物足りなささえ覚えるほどに単純化されています。
でもこういう作品で、変にキャラに引っ掛かりを作ることにはまったく意味がないんですよ。
素直に楽しめなくなっては元も子もないから。
そうしたポイントをしっかりと踏まえた上で、現在の青年誌のトレンドなども踏まえた上で咀嚼しなおした作品という印象です。
ここまで割り切るとなると、作者側にしてみればかなり葛藤があるのではないかと思います。
けれど、そこを敢えて「工芸品」に徹したのは、エラい。
描画そのもののレベルの高さと可愛さもあって、実用度は下手に露骨な作品よりもむしろ高いです。
ヘンに芸術ぶらない、実用目的のエンタメとしての漫画の力を、思い出させてくれるでしょう。
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